福岡県北九州市
スピリチュアル心理学スクール
サラスワティ カレッジ

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スピリチュアルカウンセラー遙香 誕生秘話

誕生秘話


      私は14歳のときに夢を見ました。その内容は、父が心筋梗塞で倒れ病院の先生が「今日が山場で今日持ちこたえられたらいいがたぶん無理だろう。」と仰ったというものです。私は寝る前に正座をして心から祈りました。「神様お願いです、父を助けてください。」と何度も何度も祈りました。そして布団に入り目を閉じました。しばらくするとピンクとゴールドと白のドレスを着た、肌の透き通る綺麗な女性が私の目の前に立ち、私に向かって話しかけるのです。「あなたの願いを叶えてあげます。その代り神様のお仕事を手伝うと約束できますか?」と綺麗な顔で優しく聞いてくるのです。幼い私はその意味も分からずに「はい、約束します。」と返事をしました。その日を境に父は奇跡的に健康となり元気になりました。今はもう父はこの世にいませんが、病気を患ってから20年後に、心臓の病気ではない違う病によって他界ました。心臓は息を引き取る瞬間まで動いていました。
使命  
       月日が流れ、普通にOLをしていた私は、25歳で結婚、29歳で初めての出産をしました。そして、子供が1歳になったばかりの時、見ず知らずの方から電話が突然かかってきました。「あなたの友達の○○さんから、あなたに悩みを相談すると良い方向に進むと聞きました。なので、どうか私の相談も聞いて欲しいのです。」その時私は驚き、相談を断ってしまいました。しかしその方からは、とにかく会って欲しいと何度も何度も懇願され、私は「責任は一切持ちませんがそれでも良いのなら」という条件付きでその相談を受けることにしました。来られた方は私よりもずっと年上の方で、今までの自分の人生のこと、夫のこと、さらには自分自身の病気のことなどを涙ながらに話されました。その時不思議なことに、私は話の内容よりもその方の心の声が聞こえてきました。「私は幸せになりたい。どうしたらいいの?教えて。」という言葉が聞こえてきたのです。もうかなり時間も経過しており完全には覚えておりませんが、その方にはおそらく、「今、あなたは自分の不満ばかりを言われています。また、ご自身の病気のことを言われていますね。それは多分、ご自身の周りの方々に対する感謝に、あなたが気付いていないのだ。という事を、その病気をもって警鐘しているのだと思います。」というように感じで伝えた記憶があります。その時、不思議な感覚で感じたままに発してしまった私の言葉は、この相談をしてこられた方にとって、「相談して良かった!」と思えるような内容では無かったかもしれません。しかしその後もこの方は、またぜひご相談したいと言って下さっただけではなく、会う度にご自身の病状も快方に向かわれ、ついには何人も私に人をご紹介して下さる方となりました。私は最初にこの方の相談を受け、この方の涙を見ながら、気付きました。「私も幸せになりたい。目の前のこの方の涙は私の涙。人を幸せにできるような不思議な力があるのなら、もっと勉強をして人のために役立つことをすべきではないか?」という事に。その時でした。子供の頃、神様と約束したあの夢の事が一瞬にして蘇りました。「あの夢で見た神様との約束を果たすことが私の使命なのだ。」と。
神様 
      私が夢で見た女性は一体誰なのかしばらく分かりませんでした。またそれを人に話すこともしませんでした。あるきっかけで私は占い師になり色々な方々と出逢うことができました。霊感のある方や霊能者の方達とも出逢うことができました。ある時霊能者の方と話していると急に、「暑い、暑い。あなたと話していると暑い。たぶん暖かい国の神様があなたを守っている。」と言われるのです。私は子供の頃見た夢について話してみました。するとその方は「神々の島バリ島の神様だと思うの。本屋に行ってバリ島の神様を探してみて。あなたの夢の神様が誰かわかるから。手に特徴があり、何かを持っているから。」と言われました。私はすぐに本屋に行き、バリ島の神様について探し始めて何冊目かの本を開くと、「いた。」それはまさに私が夢にみた女性、女神が手にギターを持って、14歳の時に夢で逢ったそのままの姿で笑っているのです。あの時から16年間名前も知らずにいたサラスワティー様との再会でした。
 
サラスワティー

          神々の島、バリ島の、美と学問の女神、日本では弁財天様です。
          神様と一緒に神様の愛に包まれて、神様のお仕事をするという意味を込めて学校の名前としました。

私がカウンセラーになろうと思った動機

キャンドル
私がカウンセラーになろうと思った動機は、私はあることがきっかけで、占い師になりました。(この話はまた次の機会でお話させていただきます。)

占いの仕事を始めて3年目の頃、口コミで人が来るようになり、鑑定予約が3人入っていて、心療内科に通院しているとの事。

今から13、14年前、心療内科に行っていると言えない時代でした。
その日、鑑定に来られた方は、占いよりも、話を聞いて欲しい、話がしたいタイプの方で、帰られる前に「病院では薬ばかり出されて話を聞いてくれない。先生、カウンセラーになってください。」と、真剣な顔で言います。

その日3人が同じ言葉を残し、笑顔で帰る姿を見て、私は占いだけでは人は癒されないし、幸せにもなれない。
心理学を学び、両方を絡め合わせてやるカウンセリングが、人を求めているものと直感的に感じ、カウンセラーになることを決めました。

サラスワティカレッジを設立した目的

日々カウンセリングをする中で、クライアントさんから色々な話を聞くことがあります。

前にかかっていた病院でもカウンセリングを受けたけど「全然改善しないし、話を最後まで聞いてはくれず、逆に質問をされ傷ついてしまった。」など、様々な情報が入ってきます。

私の中で色々と疑問が湧いてきて、学術的には優れたカウンセラーもいるだろうに、どうしてなんだろう?経験値が足りないのか、もしくは、人の心に寄り添うことが怖いのか、カウンセラーが疲れているのかな?
今まで16年間数えきれないほどカウンセリングをしてきた経験を活かし、世の中にカウンセラーが不足している事実をふまえ、人の心に寄り添うことができるカウンセラーを育て、世に送り出すことが私に課せられた使命で、カウンセラーとしての最後の仕事だと思い学校設立に至りました。

カウンセリングをしていて大切なこと

そして私は、心理学を学ぶために学校へ行き、勉強をしながら鑑定も日々やっていました。

学んだことはすぐ実践できるという恵まれた環境があったので、わからないことや理解できないことは、次の鑑定でお客様が教えてくれて私の1番の先生でした。

心理学を学んだことで、今まで気付かなかったこと、わからなかったことが理解できるようになって、鑑定は前よりも内容が深いものになりました。

それから、心療内科でカウンセラーを務めることで、心の深い部分に関わるようになり、今までとは違う心に傷を負った虐待やインナーチャイルド、パニック障害といった、ありとあらゆる心のトラウマを持った方に寄り添いながら、カウンセリングをするうえで1番大切なことが、だんだん見えてくるようになりました。

1番気をつけないといけないことは、クライアントとカウンセラーの距離感で遠すぎるとただ事務的な会話になり、クライアントはまた理解されないと虚しさを感じながらカウンセリングが終わる。

逆に、近すぎると同情だけになり、自律心を奪い、カウンセラーとクライアントは迷路にはまり、何のためのカウンセリングかわからなくなる。

ここで私が強くお伝えしたいことは、カウンセラーは、クライアントと二人で迷子にならないように気を付け、自分の足で歩けるまで寄り添い、見守り、またその人が治ると信じて疑わないことです。

カウンセラーとなって嬉しかったとき

微笑み
毎日9〜10人のカウンセリングをして私自身もくじけそうになったり、心が折れそうな時もあったけど、この仕事を選んで良かったと思う出来事もたくさんありました。

カウンセリングを重ねるにつれて、話すことが苦手な人が心を開いて、自ら色々なことを話てくれたり、本来の自分に戻ることができたり。

中でも1番嬉しかったことは、ジョークを言いながら心の底から大きな声で笑い、また過去の自分を振り返り、その出来事を笑い合えたことでした。

人は悲しみや苦しみを持っていると、心の底から笑うことができない。
大きな声で笑えるのは、抱えている問題の70%以上が解決されたことと同じ。
そして笑った後に「先生ありがとう。」という、真心のこもった言葉をもらったとき、また、自分の人生を歩いていると感じられたときなどは、とても嬉しくて、私はカウンセラーになってよかったと思いました。

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